
※このインタビューは2008年12月におこなわれました。 肩書等、当時のままになっています
株式会社損害保険ジャパン 取締役社長 佐藤正敏氏
内永 損保ジャパンの前身、安田火災社長室長時代の佐藤さんにお会いして10年になります。御社の女性の方々と、私がいたIBMの女性管理職と一緒にお会いして意見交換をさせていただいたのですが、佐藤さんはあの頃から女性の活躍に対して真剣にお考えで、具体的なアクションをとられていましたね。
佐藤 私どもの保険会社は昨年120周年を迎えました。戦後、保険というのは紙と鉛筆で契約を管理してきたのですが、今はコンピュータになり、コンピュータの中でも事務が大きな割合を占めています。その事務業務の戦略として、担当する女性たちがとても重要だと意識しています。私はとくに事務システムの担当を長くやっていましたので、女性がもっと活躍できる会社にしていかないと、保険会社として提供できるサービスのレベルが上がらないと思っていました。システム部門は男性のエンジニアが頑張っていると思われていますが、それを支えるための膨大なデータを処理するのは女性ですから、そこにもう少し光を当てたいと思い、10年前に女性活躍の進んでいるIBMさんとのお付き合いをお願いしたのです。
その後、2002年には大成火災と日産火災、安田火災が一緒になって損保ジャパンという会社ができ、その旗印として、出身会社にこだわらないと時に、男性、女性にもこだわらないでやっていこうじゃないかという創業の理念を作りました。
内永 そういう意味では御社は3つの保険会社が一緒になり、それぞれの社風をお持ちだったわけですが、出身にこだわらず、損保ジャパンという新しいカルチャーを作ろうというのはとても大事なことだと思います。でも、ご苦労もされたのではないでしょうか。
佐藤 やはりそれぞれの社風や企業文化が違うわけですから、苦労がなかったわけではありません。いちばん古い会社である安田火災の前身の東京火災は、1888年に日本で初めての火災保険会社としてスタートしましたが、非常にユニークなことに、火消し組をもっていたんです。そして契約をしていただくと、契約者の家の正面に鳶口(とびぐち・防火の道具)のマークを打ちつけ、火災が発生すると火消し組がポンプ車と共に駆けつけて鳶口マークのその家を守る、という仕組みがありました。当時江戸八百八町に火消しがいたわけですが、それを組織化し消防部をつくり、民間の消防隊として唯一消防庁にも認められていたのです。
内永 えーっ、知りませんでした。民間の消防隊として契約者を火災から守ってくれた…。
佐藤 鳶口マークはいまでも京都金閣寺の総門に掛かっています。以前、金閣寺の管長さんにお会いしたときに、「うちの山門に大きな看板がのっているよ」と言われました(笑)。
また日産火災というのは日本で最初の傷害保険(人の身体傷害についてお支払いする保険)をスタートさせた会社です。これは、当時労災が無かったため、仕事中に怪我にあわれて生活に困窮される方が多く、その方たちの救済をしたいという目的で設立されました。大成火災というのは、台湾が日本領となっていた頃、日本と台湾双方の発展を目的とし、両国の架け橋となるべく台湾でスタートしました。各社ともお客さまを守るためにいろんな苦労をして今日まできましたが、「お客さま第一」という原点はどこも同じです。
