
Q) ソニー初の女性プラダクトデザイナーとして入社されたそうですね。デザイナーへの道とはどのように進むものなのですか?
A) 中学生時代から、美術大学に進みたい、デザインを学びたいという気持ちは何となくありました。父の転勤で高校時代に九州から東京に移り住んでいるのですが、1年浪人して美大受験専門の予備校に通い、そこで入試に必要なデッサンなど、実技の勉強を始めて、多摩美術大学の美術学部立体デザイン科プロダクトデザイン専修に入学しました。
物を作るのが好きなので工業デザインを選び、入学してから多摩美術大学のプロダクトデザインは名門だということを知りました。私は補欠でギリギリ入学したのですが、明らかに自分より優秀な人ばかり。それに、工業デザインというと固いイメージがあったようで、クラスメート36人のなかに女子学生は私を含めて3人しかいませんでした。
私が就職活動をしたのは1980年なのですが、その時期は工業製品でもデザインの良し悪しが注目されるようになってきた頃で、就職は美大生にとっては売り手市場でしたね。ソニーはその頃から人気企業だったのですが、採用試験の時期が遅かったので、しびれを切らした男子学生たちは他の企業を受けてどんどん内定をもらっていたのです。私は教育玩具に興味があったので、そちらのメーカーを中心に就職活動をしていたのですが、市場は冷えているし募集が男性限定だったりして、そういうところでまだ性差があり、なかなか決まらない状態で。そんな時にソニーの募集があり心配した担当教授から勧められてソニーを受けたのですが、まさか決まるとは思っていませんでした。

Q) どのような職場でしたか?
A) 私が配属されたのは「PPセンター」と言って、最初のPはプロダクトで、後のPはプランニングでもプロポーザルでもプレゼンテーションでもいい、つまり商品に関連するすべてのデザインを行う部署でした。PPセンターでは、女性はトレーサー、庶務などの管理系含めて2割ほどでしたね。デザイナーで言えば、元物流部門でパッケージデザインを担当していた部署が一緒になったので、そこに所属していた女性の先輩が2人いました。デザイン部門の同期入社では短大卒のアシスタントデザイナーの女性が1人、企画部門の女性が1人でした。最初の所属は開発系のデザインでしたが、その後すぐにその課がなくなり、ウォークマンやラジオなどのデザインチームの配属となりました。
社内クライアントと言うと分かりやすいと思うのですが、事業部から上司にデザインの依頼があり、その上司が部下に仕事を割りふっていくという形で、自分のところに仕事がやってきます。この流れは現在も変わっていません。1つの製品開発には、その設計を行う者がいて、デザインを担当する者が1人いて、相談しながら作り上げるという感じです。製品のカテゴリーによってデザイン部門のリーダーがいて、その人がラインナップの中でのデザインポリシーが守られているかチェックをするのですが、そのチェックも含めて課全体で、担当者が挙げてきたデザインに対して会議の場で審議をします。大きな仕事になると、プロジェクトチームを組んでデザインするのですが、80年代は大がかりなプロジェクトは少なく、ほとんどが「コレは私の作品」と言える、1人で担当する物が多かったのです。
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