

Q) 仕事歴をお聞かせください。
A) 91年の入社です。ちょうどバブルの頃で、90年前後は新入社員数がすごく多い年でした。私は文系でしたが、先輩の「文系でも大丈夫よ」というアドバイスから、いろいろな仕事が経験できそうだとシステムエンジニアとして入社しました。OASYSというワープロを使っていたこともあって富士通には親しみがありました。
研修後に配属されたのは、SEテクニカルセンターという共通的な技術サポートをする部門でした。そこでUNIXというOSにかかわることになりました。当時のコンピュータはメインフレームと呼ばれる大型機が主力で、オープンでどこでも動くOSが期待されていました。ウインドウズ95が出てくるのが95年ですから、その少し前、MS−DOSとかウインドウズ3.0の時代ですね
。
Q) いわばコンピュータ幕明けの時期ですね。
A) これからはオープンの時代だといわれてスタートしましたが、ウインドウズ95が登場してからは、ワープロやグラフィックなどもパソコンでできる時代になっていきます。インターネットも当時はUNIXでやっていたのです。
はじめは自社のUNIX OS上でアプリケーションが動くようにするための技術サポートを担当しました。オープンといわれるUNIXでもやはり各社で差があり、他社のソフトウエアが動くようにする作業が必要でした。また、自社で売れるようにする商品化の手続きや、拡販のプロモーションにもかかわりました。
技術サポートだけでなく、商品化やその後のアフターサポートを含めて、一連のプロセスを体験できたのが非常に勉強になりました。しかも新しいことをやる部署でしたので、新人でも割合自由にやっていいという雰囲気があったのがよかったです。
ウインドウズ95が出てからは、時代の変化もあり、ソリューション、つまりソフトとハードの組み合わせでお客様の課題を解決するというサービスを売っていくことが求められるようになりました。そのためにはマーケティングが重要だということで、96年からマーケティング本部に移りました。移ったというより、そうした流れのなかで、部自体がマーケティング本部に組み込まれていったのです。マーケティング本部は営業部門に属していましたから、プロモーションや調査をすることで営業支援を行っていました。
2002年には、全社的にCS(Customer Satisfaction お客様満足)向上を推進することになり、私たちの組織は営業部門として、CS向上や改革を推進していくことがミッションになりました。
その背景としては、2002年にITバブルがはじけ、当社が赤字決算に陥るという状況がありました。アメリカのネットバブルの崩壊などの影響もあり赤字に転落。お客様の満足度を高めていくことで、経営を改善していこうということになったのです。