
第2期女性メンバー・インタビューがスタートしました。

Q) お仕事のプロフィールからお聞かせください。
A) 私は1986年入社の男女雇用機会均等法一期生です。均等法施行前年度、しかも法学部の女性でしたので就活は厳しく、先輩訪問を含め30社ほど回りました。私は卒論で医療過誤の研究をしていましたので、安田火災が昭和38年に医師の賠償責任保険を作ったことを知ったことが入社動機の一つになりました。当時の安田火災は、新卒女性の総合職枠採用はまだなく、一般職枠の採用のみで、この年初めて4大卒の一般職女性を13名採用しました。
最初の配属は、種目業務部の商品開発部門で認可関係の仕事に就き、役所から商品の認可を受けるための申請書を作ったり、コピーを当時の大蔵省に届けたりする仕事以外に、法律の調査もプラスアルファとして行っていました。
3年目に、できたばかりのシンクタンク、安田総合研究所に、一般職として初めて出向。PL (Product liability 製造物責任)法ができる時で、PL法の本を作るプロジェクトに参画しました。プロジェクトは種々の業界から専門家の方が集まって進めるのですが、会議は深夜に及び、20時以降の残業ができない私は、途中で帰らなくてはいけないことにフラストレーションを募らせました。総合職になれば転勤はあると言われていたのですが、直面している問題を解決したくて総合職の試験を受け、4大卒一般職同期の4名が総合職転換をしました。
その後、当時の労働省婦人局から女性を一人出向させて欲しいという要請があり、私が行くことになりました。婦人局婦人政策課では、法規の仕事、男女雇用均等法の定着やセクシャルハラスメントの調査などをさせていただきました。そこでワーキングマザーである官庁の方たちと一緒にお仕事をさせていただき、お子さんを連れて転勤する姿をすごいなあと思ったり、朝3時まで国会待機、9時には出社して大臣説明と、当社の女性たちとは違うなあと感心したりしました。2年間勉強させていただき、再び種目業務部である賠償責任保険の開発や引受を行う部署に戻りました。

その後、熊本支店営業1課に転勤になりました。その1年前に父が亡くなり、母一人子一人でしたから、会社には家族用の社宅をお願いし、母を連れて転勤しました。父が亡くなったばかりで元気のない母も心配でしたし、九州ではたびたび帰ることもできないので、連れていったのです。これが熊本のプロの代理店さんには「なかなか親孝行な娘さん」と評判がよく、母に能のチケットを頂くなど、皆さんによくしていただきました。転勤も意外と楽しいものでした。
最初転勤先が熊本と知った母は、「どうするの。会社を辞めるの。」と聞きました。「総合職だから転勤はつきもの。行って、だめだったら、そこで辞めればいいじゃない。」と私に言われ一緒に行った母も熊本に馴染んで初の東京以外での生活をエンジョイしていました。
仕事は代理店と連携して行う営業でしたが、総合職と一般職がペアになり、事務処理を一般職の方にお願いをしながら仕事を進めます。ペアの一般職とは公私共に息のあったペアになり、今でも交流が続いています。
入社動機となった賠償責任保険については、仕事を行っているうちに興味が湧き、賠償責任保険を「作る」「販売する」は経験したので、あと残っている「お支払いをする」ことで、保険の一連の業務を完結させたいと思っていました。そこで、次の異動先に賠償責任保険のお支払い部門であるサービスセンターを希望し、3年後、本社に戻りました。
サービスセンターでは、普段人が入れないような事故現場に、ヘルメットをかぶって入ることもありました。鑑定人と同行し、法的に保険の支払対象になるかどうか、損害額の妥当性を判断します。大きな事故になればなるほど、もしお支払できないといような事情が判明した時、現場を見ていなければ説明もできないので、支払担当者は現場や現物を大事にします。好奇心旺盛な私には、事故現場を見てお支払いする仕事は非常に興味深いものでした。
保険会社の仕事は、官庁との折衝をはじめ、多種多様な業種の現場に行き、いろいろな業務に携わっている方に会え、さまざまな経験ができます。その点が気に入り、この仕事がどんどん好きになり、今に至っているのだと思います。